芭蕉 夏草や兵どもが夢の跡 6月29日(旧暦 五月十二日)木曜日

夏草や兵どもが夢の跡  芭蕉

曽良の旅日記に「十三日、天気明。巳ノ剋ヨリ平泉ヘ趣。(略) 高館、衣川、衣ノ関、中尊寺(別当案内)光堂(金色堂)、泉城、さくら川、秀衡屋敷等ヲ見ル。」と書いたのは、元禄二年五月十三日(1689年6月29日)のことです。 

この日高館において、芭蕉は「偖(さて)も義臣すぐって此の城にこもり、功名一時の叢となる。『国破れて山河あり、城春にして草青みたり』と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落とし侍りぬ」と書いています。そして掲句を記しています。当日詠んだ句のように思われますがが、曽良の旅日記俳諧書留には記載がありませんので残念ながらそうではなく後日の作かもしれません。

掲句の初出は、元禄三年八月京都で出版された大坂の灯外編の「俳諧生駒堂」で、「平泉古戦城 路通が語りしを聞て なつ草や兵どもの夢の跡」となっています。元禄二年八月に路通は敦賀まで芭蕉を迎えに行き、大垣、伊勢迄同行していますから、その折にこの句を聞き知っていたのでしょう。それを編者の灯外あるいは灯外と親しいと思われる鬼貫に語ったものでしょう。鬼貫は奥州藤原氏の裔という伊丹の造り酒屋の生まれでした。

chatGPT斎 今日の一句  夏の夢 煌めく海と 星の語り

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