芭蕉 木の本に汁も膾も桜哉 4月10日(旧暦 閏二月二十日)月曜日 鴻雁北
木の本に汁も膾(なます)も桜哉 芭蕉
正月膳所から伊賀上野に戻っていた芭蕉は、元禄三年三月二日(1690年4月10日すなわち333年前の今日)、伊賀上野城下小川風麦邸で掲句を発句として八吟俳諧興行を行ないます。連衆は風麦、土芳、半残ら8名です。土芳は「三冊子」に「この句の時、師のいはく『花見の句のかゝりを少し得て、かるみをしたり』となり」と書き残しています。脇は風麦、明日来る人はくやしがる春、第三は良品、蝶蜂を愛するほどの情けにて。この日の「俳諧之連歌」は、第十八句までは同じ四十句のものと歌仙の二巻伝えられています。
芭蕉は伊賀上野の俳諧には満足しなかったようで、三月下旬に膳所に行き掲句を立句に、珍夕、曲水と三吟歌仙を巻きます。脇は珍夕、西日のどかによき天気なり、第三は曲水、旅人の虱かき行く春暮て。
どうやら膳所の方が芭蕉の求める「かるみ」に近かったようです。そのまま膳所に滞在した芭蕉は、4月から幻住庵に入ることになります。
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