芭蕉 花咲て七日靏みる麓哉 4月12日(旧暦 閏二月二十二日) 水曜日
花咲て七日靏(つる)みる麓哉 芭蕉
貞享三年三月二十日(1686年4月12日すなわち337年前の今日)「紅花大尽」と称された尾花沢の鈴木清風*江戸屋敷で興行された七吟歌仙の発句。連衆は、芭蕉、清風、挙白、曽良、コ斎、其角、嵐雪。花は咲いて散るまで七日、鶴も降りて七日留まるとのいわれを引いた挨拶句**。脇は清風、おじて蛙のわたる細橋 第三は挙白、足踏木(あぶみぎ)を春まだ氷る筏して。
清風が脇句に蛙を詠み込んでいるのは、同月に興行された「蛙の句二十番句合」をよく知ってのことかと思われます。実はその句合の巻頭句こそが芭蕉の 古池や蛙飛び込む水の音 でした。興行日は特定されていませんが、第九番左句に琴風の夕月夜畦に身を干す蝦(かはず)哉がありますので、三月十日頃だったのかもしれません。いずれにしても「古池や」が生まれ立ての頃で、清風との話も盛り上がったことでしょう。
*芭蕉が「おくのほそ道」の中で「かれは富るものなれども志いやしからず」と高く評価している清風その人。この日から3年余りたった元禄二年五月(1689年7月)、芭蕉と曽良は尾花沢の清風宅にしばらく逗留することになる。
**1年余り前の貞享二年二月に野ざらしの旅の途次、芭蕉は京鳴滝にある越後屋三井家の秋風の別墅に逗留した際、梅白しきのふは鶴を盗まれし の挨拶句を詠んでいる。秋風の庭には鶴は見かけなかったようだが、江戸の清風の屋敷には鶴がいたのだろう。
chatGPT斎 今日の一句 翼拡げて わたしは舞うや 春の風


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