芭蕉 猶みたし花に明行神の顔 4月21日(旧暦 三月二日)金曜日

猶みたし花に明行(あけゆく)神の顔 芭蕉

芭蕉一行は、長谷に宿泊した翌日の貞享五年三月二十一日(1688年4月21日すなわち今日)初瀬街道を三輪へ向かいます。長谷寺の句の次に「葛城山」として「笈の小文」にある掲句は、そのときの吟と思われる配置です。吉野の桜を見る前の、花盛りの初瀬街道もしくは三輪辺りからの葛城山の遠望となります。*

*しかしながら、掲句は「(略)葛城山のふもとを過るに、よもの花はさかりにて、峰々はかすみわたりたる明ぼののけしき、いとゝ艶なるに、彼の神**のみかたちあしゝと(略)」という前書をもって形で「泊船集」はじめ多くの句集に収録されていますので、芭蕉が詠んだのは、和歌の浦から紀伊の暗峠を越え、葛城山のふもとを通り奈良に向かった、四月初め(新暦では5月初め)だとの説が有力なようです。しかし、貞享五年の立夏は四月七日と少し遅めだったようですが、夏の月である卯月に入ってから芭蕉が桜の句を詠むとは考えられません***。また、いくら桜の開花が遅かったとしても、立夏が近い時期に「よもの花はさかり」であったとも思えません。「葛城山のふもとを過るに」の方がフィクションなのでしょう。芭蕉はこのような演出を時々やっています。 **葛城一言主神。 ***「やよひのすゑ」と冒頭に書き加えた前書のある真蹟懐紙も伝わっていたようで、吉野から高野に向かう途中、三月末頃の吟とする説もあります。


chaGPT斎 今日の一句  花咲くや 醜き面の 神のほほえむ

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