芭蕉 鶯や餅に糞する縁の先 4月4日(旧暦 閏二月十四日)火曜日

鶯や餅に糞する縁の先 芭蕉

前年10月末ながい旅から江戸にもどって日本橋橘町に仮寓していた芭蕉は、元禄五年二月十八日(1692年4月4日)、去来宛に書簡を書きました。掲句はその末尾にあり、続けて「下(しも)、笹伝ひと有るべきや」と去来に問いかけています。もし下五が改案され「鶯や餅に糞する笹伝ひ」と治定されていたなら、この日の作といえたかもしれませんが、残念ながら、掲句は1月下旬の吟です。

なお、同書簡の追書きに「愚句歳旦*御心に御入り候由、珍重。精進出し候。其角も感少なからず候由申し候」と喜びを伝えています。また、同じ日に芭蕉は大津の曲水宛に「風雅の道筋、大かた世上三等に相見え候」と定家や西行らを最上等と評価する、後世「芭蕉翁三等之文」として有名になる書簡も執筆しています。*元禄五年の芭蕉歳旦句、人も見ぬ春や鏡の裏の梅 

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