一茶 わか草や誰身の上の夕けぶり 4月5日(旧暦 閏二月十五日)水曜日 清明・玄鳥至
わか草や誰身の上の夕けぶり 一茶
「文化句帖」文化元年二月二十五日(1804年4月5日)の条に、「晴 北風吹 巣兆ノ婦人例ならぬとて、乙二、道彦とおなじく千住におもぶく。かへるさ隠坊の家をよ所に見なして、」として、掲句と わか草と見るもつらしや夕けぶり を記す。巣兆、乙二、道彦いずれも俳人で一茶と共に千住に住む巣兆の妻を見舞ったのである。小塚原の周りの隠坊の粗末な家から上がる夕餉のけむりか、小塚原で処刑された罪人焼くけむりなのか…
巣兆、道彦は加舎白雄の弟子の巣兆、道彦は、一茶のパトロン・盟友である夏目成美と共に江戸の三大家と称され、乙二は3人との交流が深かったそうです。
chatGPT斎 今日の一句 春のからす 一瞬消えた 光のかけら
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