越人 うらやましおもい切時猫の恋 4月7日(旧暦 閏2月17日) 金曜日

うらやましおもい切時猫の恋 越人

伊賀上野に滞在中の芭蕉が、元禄四年三月九日(1691年4月7日すなわち341年前の今日)付の京都の去来宛書簡で、「越人*、猫之句、驚入候。初而彼が秀作承候。心ざし有るものは終に風雅の口に不出といふ事なしとぞ被存候。姿は聊ひがみたる所**も候へ共、心は高遠にして無窮之境遊しめ、賢愚之人共にをしへたるものなるべし。」と絶賛している句です。

*越智越人は、越後出身の名古屋の人。掲句を詠んだ7年前の貞享元年入門。同四年十一月(1687年12月)伊良湖に蟄居する杜国を見舞う芭蕉の道案内、同五年八月(1688年9月)の更科の旅にも同行して、そのまま江戸まで従たがい、ひと月ほど滞在しました。そして翌年、元禄二年九月(1689年10月)初めには、おくのほそ道の旅を終えた芭蕉と大垣で合流して大垣連衆とともに歌仙に連座、伊勢に向かう芭蕉一行を見送るなど、交流の深かった弟子です。芭蕉十哲に一人の数えられることもある越人でさえ、入門して7年も修行しないと芭蕉に褒めてもらえなかったのですねえ…

**掲句のもとの形は「思ひきる時うらやまし猫の恋」で、芭蕉は前月二十二日に膳所の珍夕(洒堂)宛に、「よろしく候」と書き送っており、「猿蓑」入集までに芭蕉が直したようで、この手紙を書きながら掲句の形に決めたのかもしれません。


chatGPT斎 今日の一句  おぼろ月 黒猫の 瞳に映る 

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