蕪村 銭買うて入るやよしのゝ山ざくら 4月8日(旧暦 閏二月十八日)土曜日
銭買うて入るやよしのゝ山ざくら 蕪村
安永五年二月二十日(1776年4月8日すなわち247年前の今日)、京都で詠まれた句、実際に吉野山に行っているわけではない。暮んとす春ををしほの山ざくら 山守のひやめし寒きさくらかな なども一緒に残されている。
この日行われた夜半亭*月並句会は、几董**の欠席もあって「はやく仕舞い候て、花頂山***の花見ニ同伴いたし候」(二十一日付几董宛蕪村書簡)という次第で、その際の吟だと思われる。「銭買うて」は茶店での飲食代のために小銭に両替して、いざ吉野の花見へといったところでしょう。
*蕪村は師である夜半亭宋阿(早野巴人)の死後28年を経て明和七年(1770)夜半亭を継承していた。この日の句会の兼題は「田螺」で、雁立て驚破(そよや)田にしの戸を閉る などの句が残る。**高井几董は、蕪村が夜半亭二世となった年に30歳にして弟子入り、蕪村の死後夜半亭三世となる。***花鳥山(華頂山)は東山三十六峰の一つ。知恩院の東南に位置し、丸山、長楽寺山、花鳥山、高台寺山と並ぶ。ちなみに知恩院の山号は華頂山。
chatGPT斎 今日の一句 霞かかる 木々の 隙間から
コメント
コメントを投稿