蕪村 我影をうしろへ春の行衛かな 4月9日(旧暦 閏二月十九日)日曜日

 我影をうしろへ春の行衛(ゆくへ)かな 蕪村 

自画讃に「敏馬(みぬめ)の浦づたいせむと、すずろに道をいそぎけるに、むこ川のほとりにて、佳則子が浪花におもむくに相逢ふ。旅衣を換ふるひまもなく、彼は春風に乗じて東へ、我は落日を望て西す」として。

「安永七年(1778年)春、蕪村は几董らと共に浪花、兵庫に遊びます。「几董句稿」三月十二日(4月9日、すなわち245年前の今日)の条に、「浪花を出て脇の浜にゆく。朝曇り、昼つかたより晴れ。梅田、大仁、野田の渡し、佃の渡し、尼崎、武庫川、枝川のあなたにて大石の佳則が浪花に往くにあふ。西宮、住吉、脇浜、敏馬浦。井筒屋が亭に着く。黄昏」とありますので、この日の事だとわかります。そして蕪村は、几董と泊まった井筒屋で、筋違にふとん敷たり宵の春 の句を詠みます。 *敏馬は、今の神戸市灘区の摩耶埠頭一帯の古地名。万葉集に「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎きぬ」(柿本人麻呂)があるなど歌枕。

chatGPT斎 今日の一句  夜の風 薄紅に 蚕のおどる

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