芭蕉 うきふしや竹の子となる人の果 5月16日(旧暦 三月二十七日)火曜日 竹笋生(ちくかんしょうず)

うきふしや竹の子となる人の果 芭蕉

「嵯峨日記」二日目、元禄四年四月十九日(1691年5月16日すなわち332年前の今日)の条、「 十九日 午半、臨川寺ニ詣。大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾里につヾけり。虚空蔵に詣ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有。都て上下の嵯峨ニ三所有、いづれか慥ならむ。彼仲国ガ駒をとめたる處とて、駒留の橋と云、此あたりに侍れば、暫是によるべきにや。墓ハ三間屋の隣、薮の内にあり。しるしニ桜を植たり。かしこくも錦繍綾羅の上に起臥して、終藪中に塵あくたとなれり。昭君村の柳、普(巫)女廟の花の昔もおもひやらる。

(掲句)

嵐山藪の茂りや風の筋

斜日に及て落柿舎ニ歸ル。凡兆京より來。去來京ニ歸る。宵より伏。」とあります。今日は七十二候の「竹笋生」です。

chatGPT斎 今日の一句  竹の子掘り その手の泥で 嗽(くちすすぐ)

以下、「(公益社団法人)俳人協会・俳句文学館」HP「今日の一句:2022年05月」の「五月二十日」欄からの引用です。

いはずをむくおそろし西東三鬼

言葉で語らないが、背中で物を言っているわけである。それが怖しい。筍は手間のかかる食物。それを作者に食べさせるためにむいているのであるから、よけいに怖しい。『変身』

 
「西東三鬼集」 脚註名句シリーズ一( 九)


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