蕪村 岩倉の狂女恋せよ子規 5月24日(旧暦 四月五日)水曜日

岩倉の狂女恋せよ子規 蕪村

安永二年四月四日(1773年5月24日)、京での吟。蕪村句集では前書はありませんが、自画讃では「数ならぬ身はきき侍らず」と詞書があるそうです。これは、徒然草百七段の時鳥や聞き給へると問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、数ならぬ身はえ聞き候はず、と答へられけり。堀川内大臣殿は、岩倉にて聞きて候ひしやらん、と仰せられたりける」を引いた句であることを示しています。しかし、句集編纂にあたり詞書を省略していますので、独立した句として取り扱うとの意思だったのでしょう。

では、なぜ徒然草のエピソードがなくとも成立つかと言いますと、そもそも岩倉大雲寺は徒然草の時代の遥か前、平安中期に時の皇后の精神病治療に貢献するなど精神疾患治療する施設として有名でした。そして「江戸時代の前期、大雲寺の周囲に各地から参集した精神病者とその家族のための茶屋が4軒以上」あったそうですから、徒然草がなくとも「岩倉の狂女」で京都の人々には十分理解できたのです。

徒然草は明らかに「岩倉」を否定的に見ていますしからかってもいます。蕪村は「狂女」に寄り添っているというより、恋しているように感じます。ちょっと言い過ぎかもしれませんが… 

この時期になると、ほととぎすの声が聞こえるのではないかと耳を澄ませますが、老鶯の声ばかりでめったに聞けません。「数ならぬ身」だからでしょうか。

chatGPT斎 今日の一句  鏡に映る 狂女の笑みは 夢か現か

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