山頭火 六十にして落ちつけないこゝろ海をわたる 5月28日(旧暦 四月九日)日曜日
六十にして落ちつけないこゝろ海をわたる 山頭火
昭和15年(1940年)5月28日の詠です。「松山日記」に「五月廿八日 曇。/ 早起、一雨ほしいなと誰もが希ふ。/ いつもの飲みすぎ食べすぎで多少の腹痛と下痢、自粛しよう、しなければならない。/ 朝、奥さん*は道後へ、私は山口へ。……」と書き出し、山頭火は「自嘲」と前書して掲句で締めくくっています。*どんこ和尚こと大山澄太の奥さん。山頭火は中国九州の旅出るため、前日早起きして松山の庵を発ち、船で広島に渡りました。日記に「身心憂欝、おちついてはゐるけれど、――この旅はいはゞ私の逃避行である、――私は死んでも死にきれない境地を彷徨してゐるのだ。/ 一時宇品着、電車で局にどんこ和尚を訪ふ、宅で泊めて貰ふ、よい風呂にはいりおいしい夕飯をいたゞく、あゝどんこ和尚、どんこ和尚の家庭、しづかであたゝかなるかな、私もくつろいでしんみりした。」と記しています。山頭火は6月初めに松山に戻りますが、10月11日に数え60歳の生涯を閉じることになります。
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