蕪村 菜の花や月は東に日は西に 5月3日(旧暦 三月十四日)水曜日
菜の花や月は東に日は西に 蕪村
安永三年三月二十三日(1774年5月3日、249年前の今日)、蕪村は几董と伊勢山田の三浦樗良を京に迎えて三吟歌仙興行を行い、掲句はその発句*です。「几董宿の日記」に「三月二十三日即興」として一巻が収録**されています。
脇 山もと遠く鷺かすみ行 樗良、第三 渡し舟酒債(さかて)貧しく春くれて 几董
*「蕪村句集」には、「春景」と前書して「なの花や月ハ東に日ハ西に」として掲載。句が描くのは十三夜あたりのようですから興行した二十三日の情景ではありません。 **同日記には「同夜漫興」として三吟歌仙がもう一巻収められています。「発句 彳(たたずめ)ば花もたゝずむ山路かな 樗良、脇 声ひやゝかに鳥のさへずる 几董、日暮々々むかし顔なる春の月 蕪村」
chatGPT斎 今日の一句 菜の花が 月に変わりたがる 夜中

この句は一般的に春の自然のゆったりと暮れてゆく美しい様を読んだ句、と思われてますが、実はその本意はご存じでしょうか?。
返信削除これは蕪村が大地主の後継に生まれ、そのままなら裕福な一生を得たであろう彼が、時代の変転の中で没落の身になり、田畑は小作農に買い取られ、買った方は稲よりも高い利益を生む菜の花を植えたのです。蕪村が故郷を捨てた時に映った実家の様子がこの一句に結集しています。
彼にとっては屈辱と尺別の句なのです。
尺別→惜別
削除なるほどそうでしたか。第三句はそんな気配が感じられますね。弟子の几董は師の身の上についてある程度知ってたのでしょうし。483さん、ありがとうございます。
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