一茶 五十聟天窓をかくす扇かな 5月30日(旧暦 四月十一日)火曜日
五十聟天窓(あたま)をかくす扇かな 一茶
「七番日記」巻頭文の中に「文化十一年 一茶 五十二 四月十一日 赤川里、常田氏女ヲ娶ル。女年二十八ト云。五十二ニシテ始妻帯ス」と一茶は特記しています。また、「五十年一日の安き日もなく、ことし春漸く妻を迎へ、我身につもる老を忘れて、凡夫の浅ましさに、初花に胡蝶の戯るゝが如く、幸あらんとねがふことのはづかしさ。(中略)千代の小松と祝ひはやされて、行すゑの幸有らん迚(とて)、隣々へ酒ふるまひて、」として掲句を記した真蹟が残されています。
歳の離れた花嫁、菊を迎えた日は、1814年5月30日にあたります。前年一茶は、十三年に及んだ異母弟との財産分配争いが決着して、故郷柏原に念願の田畑と家屋敷等を持ちました*。 大の字に寝て涼しさよ寂しさよ と詠んでいます。
掲句「天窓をかくす」とありますが、一茶は禿げてたわけではなく白髪だったようです。「白毛黒クナル薬、クルミスリツブシ毛ノ穴」(文化二年 四十三歳)、「おのれのかしらには霜をいただき」(文政三年 五十八歳)等と書いています。ただ、結婚時にはすでに歯は一本も残っていなかったそうです。
*故郷を離れて30年、根無し草のような生活の中で老後を心配していた一茶は、「五十にして冬籠さへならぬ世」(文化三年 四十四歳)といった句を残しています。
chatGPT斎 今日の一句 晩婚の花咲くたびに時間が止まる
以下、「(公益社団法人)俳人協会・俳句文学館」HP「今日の一句:2020年05月」の「五月二十二日」欄からの引用です。
| 膳のものえびやあはびや夜の怒濤 | 大野林火 |
五月、房州白浜で鍛練会が行なわれた。その前日に太見ヘー泊して得ている。「えびやあはびや」は眼前のものなのだが豊かでよい。夜の怒濤が海に近い宿の開け広げた大きな部屋を感ぜさせる。野沢節子・恩賀とみ子・田口俊子・大川つとむなど賑やかな面々。 | |

コメント
コメントを投稿