一茶 笠の露眠むらんとすれば犬の声 5月5日(旧暦 三月十六日)金曜日
笠の露眠むらんとすれば犬の声 一茶
寛政七年三月十七日(1795年5月5日、228年前の今日)、一茶は「明石より兵ごの道連あれば、夜道して、同行二人、頻に眠気催れば、軒をかりて」(「西国紀行」)と前書して掲句*を詠みました。現在の芦屋か西宮あたりだったかもしれません。十七日ですから、夜道は明るかったのでしょう。続けて「夜ハほのぼの明比、大坂に来る。黄花庵**を主とす。題庭前、相見。二十里也。/松そびへ(え)魚をどり春む情(を惜)む哉」と「西国紀行」にあります。「二十里」は明石から大坂までの距離だとすれば、少しオーバーで、十五里・60kmくらいじゃないでしょうか…
*芭蕉「野晒紀行」に「草枕犬も時雨るかよるのこゑ」があります。 **黄華庵升六。大阪俳壇の有力者で、高津宮近くに住んでいたそうです。
chatGPT斎 今日の一句 水鏡に 反射した鯉 やわらぐ
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