蕪村 ふたり寝の蚊帳もる月のせうと達 6月1日(旧暦 四月十三日)木曜日
ふたり寝の蚊帳もる月のせうと達 蕪村
「逢不逢恋(アヒテアハザルコヒ)」と前書。安永七年五月七日(1778年6月1日)の金福寺写経社の句会での吟です。京一条寺の金福寺の芭蕉庵は、2年前安永五年四月に蕪村一門によって再建されました。金福寺は清和天皇の貞観六年(864年)創建の古刹です。「せうと」は「兄人(背人)」、男兄弟の事で、掲句は「二条の后に忍びて参りけるを、世の聞えありければ、せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ」とあります伊勢物語第五段を踏まえています。「二条の后」とは、清和天皇の女御なり陽成天皇の母となった藤原高子(たかいこ)といわれており、第五段は高子入内前の業平とのエピソードを扱っています。高子の男兄弟は摂政になる基経や大納言国経らがいます。
物語では、「通ひ路に、夜ごとに人をすゑて守らせければ、行けどもえ逢はで帰りけり。」で、業平は「人しれぬ わが通ひ路の 関守は よひよひごとにうちも寝ななむ」という歌を詠んだことになっていますが、掲句ではどうだったのでしょう? 逢えずに二人寝た蚊帳の中に一人いるとも読めますし、「せうと達」が居眠りしてくれて二人で蚊帳の中にいるとも読めます。「せうと達」の面目を考えると後者の方が面白そうで、前書「逢不逢恋」も生きてくるように思います。
chatGPT斎 今日の一句 蚊帳の中逆さまに宙に寝姿
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