蕪村 若竹や橋本の遊女ありやなしや 6月18日(旧暦 五月一日)日曜日
安永四年五月二十一日(1775年6月18日)几董庵句会において、西行と江口の遊女の故事をもとにして詠んだものです。橋本に多い竹林のその若竹の奥には、西行の江口の君のごとき風雅の遊女がいかにも住んでいそうだ、いやいないか…
橋本は、京街道の淀宿と枚方宿の間、石清水八幡宮の麓の淀(澱)川に面した遊里で、江口は同じ淀川の河口付近にあった遊里です。
蕪村は安永六年二月、斬新な俳詩体の「春風馬堤曲」と「澱河歌」を発表します。「殿河歌」は、五言絶句2首と和詩1首の3首に「老鶯児 春もやゝあなうぐいすよむかし声」の句で構成されています。蕪村六十二歳、この年の夏「六十の手習恥る夏書かな」夏安居中の写経の手習いのような句を残していますが、還暦を迎えた安永四年頃から何か新しい試みに挑戦していたのかもしれません。
「春風馬堤曲」と「澱河歌」ともに季は春ですが、蕪村は掲句と「澱河歌」を賛とする扇面画を描き残しています。掲句を「澱河歌 夏」として、「澱河歌」は春となっています。「澱河歌」の第三首目の和詩「君は水上の梅のごとし花水に/浮で去こと急カ也/妾は江頭の柳のごとし影水に/沈でしたがふことあたわず」とあります。この梅と柳の君には「水にちりて花なくなりぬ岸の梅」、柳の君は「一軒の茶店の柳老にけり」との詠があり、それらに対しでは「竹の君」はといった趣向なのかもしれません。
chatGPT斎 今日の一句:若竹に あら縄むすぶ おんなのて
以下、「(公益社団法人)俳人協会・俳句文学館」HP「今日の一句:2023年06月」の「六月六日」欄からの引用です。
| 若竹の節の二十重(はたえ)の上(は知らず | 大竹きみ江 |
一ときわ育ちのよい若竹を見上げた。白い粉を噴く幹の肌にもふれてみた。節の輪を重ねた穂の先に空が透いて見えていた。 「大竹きみ江集」 | |


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