一茶 いかめしき夕立かゝる柳かな 6月19日(旧暦 五月二日)月曜日

いかめしき夕立かゝる柳かな 一茶 

文化七年五月十八日(1810年6月19日)、痛い足を引きずりながら一茶は「漸古郷見ゆる二十塚といふ山ニいたる。むつまじき仲ならば、とくとく行て昼から寝ばやと思へど、かねがねねじけたる家内の輩、例のむくつけき行迹見んも罪作る。又一里越して、野尻魯童亭ニ泊。」とし、掲句と、時鳥我湖水ではなかりけり 茶のけぶり仏の小田も植わりけり の三句を「七番日記」五月十八日の条に記しています。

一茶は、「足のいたミ常ならず」と言いながら故郷柏原宿を通り越し、一里先の野尻宿*まで脚を延ばしています。「又」と書いてますから毎度のことだったのかもしれません。継母や義弟と会うのが、よほど気が進まなかったとみえます。

*北国街道の野尻宿(現在の信濃町野尻)で、中山道の野尻宿とはまた別です。「時鳥我湖水」句の湖は野尻湖のことで、宿場町はその湖畔にありました。

chatGPT斎 今日の一句  野茨の 風に心を 痛めおり

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