一茶 暁の夢をはめなむ時鳥 6月24日(旧暦 五月七日)土曜日

 暁の夢をは(食)めなむ時鳥 一茶 

文化七年五月二十三日(1810年6月24日)、長沼*の門弟掬斗(きくと)邸で二十二日に句会があり泊まっていた一茶が、掬斗から見た夢を告げられて詠んだ句です。

「屍らしきものに荒綱つけて、川ニ入る児有。『なじかハかゝ拙き遊びす』と問へば、『是ハ一茶が亡がらなれば、しかじかせよと源蔵の老婆がいひし也、我々のわざくれならず。』と答る時、暁の烏のかまびすしく、門の蚊柱きえぎえに、夢ハ迹なくさめけるとや。げにげに我たまたま故郷に帰りて、二夜とも伏さず、又漂泊の身となりて、野を枕、草を敷寝として、南北呻(さまよ)ふ物から、友垣の真心よりかゝる夢も見るなるべし。」と日記に書き残しています。

地元共同体の一員として地道に暮らしている義弟と相続について争う、30年以上漂泊している一茶は、故郷の人々から疎まれており、そのことを今更ながらに気づかされた掬斗の夢でした。一茶は「そぞろにおそろしく覚え侍る」として、時鳥にその夢を食わせてしまいたいと詠みました。

なお、遺産相続問題が決着するのはこの時からまだ数年かかることになります。。

*現在の長野市穂保あたりにあった「東脇往還・谷街道」の宿場町。掬斗はそこで代々医を業としていました

Bing亭 今日の一句  夢見るは 時鳥の声か 夏の恋

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