蕪村 鮓漬けて誰待つとしもなき身哉 6月28日(旧暦 五月十一日)水曜日
鮓漬けて誰待つとしもなき身哉 蕪村
蕪村自身のことを詠んだ句のようにも思いますが、明和八年五月十六日(1771年6月28日)京都東寺奥の坊の会、兼題「鮓」による吟だそうです。
同日の句に、桶をこれへと樹下に床几哉 木のもとに鮓の口切あるじかな がありますので、もしかしたら蕪村の体験からきているのかもしれません*。
掲句に対して、弟子の召波**の「鮓おして我は人待つ男かな」があります。芭蕉に「角が蓼蛍の句に和す 朝顔や我は飯食う男かな」と、弟子である其角の「草の戸に我は蓼食ふ蛍哉」に対して詠んだ句があり、掲句と召波の句と似た関係になっています。師匠と門弟を逆転させた召波の洒落っ気でしょう。
*6年後となります安永六年(1777年)の句「鮓おしてしばし淋しきこゝろかな」などを掲載しています5月22日の項も参照ください。 **召波はこの年明和八年十二月に亡くなります。享年四十六歳、蕪村より12歳年下でした。
chatGPT斎 今日の一句 蛍光灯に 映る鮓の 寂しさよ

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