芭蕉 蚤虱馬の尿する枕もと 7月1日(旧暦 五月十四日)土曜日 

蚤虱馬の尿(しと)する枕もと 芭蕉 

伊達政宗の最初の居城であった岩出山を小雨の中出発した芭蕉は、鳴子温泉を素通りして尿前関を怪しまれながらも通過、出羽街道中山越えで堺田に至ります。元禄二年五月十五日(1689年7月1日)のことで、その夜を詠んだものです。

「日既暮ければ、封人の家を見かけて舎(やどり)を求む。」と「おくのほそ道」にあります。曽良の日記に「宿(和泉庄や)」とあり、「封人の家」は堺田の庄屋有路長左衛門宅でした。この家は今も堺田に残っています。掲句は惨めな旅寝のイメージですが、庄屋の家ですからそんなことはなかったと思います。

芭蕉は、大雨のため次の日も「堺田ニ滞留」、快晴となった翌々日、大山を越えて尾花沢に向かうことになります。

Bing亭 今日の一句  馬の尿 熱き日にはじく 夏草


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