其角 丈山の渡らぬあとを涼み哉 7月14日(旧暦 五月二十七日)金曜日
丈山の渡らぬあとを涼み哉 其角
「翁よりの文に、都の涼み過て、又どち風になりともまかせてなどゝ、聞へけるをとゝめて」と前書して「花摘」元禄三年六月九日(1690年7月14日)の条にあります。「どち風」は方向が定まらない風のこと。
石山の幻住庵にいた芭蕉は、六月初め京に出て十八日まで滞在します。この間の句に「四条の川原涼みとて、夕月夜のころより有明過ぐるころまで、川中に床を並べて夜すがら酒飲み、物食ひ遊ぶ。女は帯の結び目いかめしく、男は羽織長う着なして、法師・老人ともに交り、桶屋・鍛冶屋の弟子子まで、暇得顔に歌ひののしる。さすがに都の景色なるべし 川風や薄柿着たる夕涼み」があります。この折のことを早速江戸の其角に知らせたものでしょう。「我はめし喰うおとこ」の芭蕉がこの賑やかな夕涼みを体験したことを面白がっての句です。仙人のごとく大原詩仙堂に隠棲する石川丈山が天皇お召しにもかかわらず渡らなかったという賀茂なお、其角宛のこの文は残されていませんが、再び幻住庵に戻ってからの金沢小春(おくのほそ道の際宿泊した宮竹屋喜左衛門の息)宛書簡(元禄三年六月二十日付)に、「残生いまだ漂泊やまず、湖水のほとりに夏をいとひ候。猶どち風に身をまかすべき哉と秋立比を待かけ候。云々」とあり、同様の文言が其角宛文にも記されていたのでしょう。
Bing亭 今日の一句 浴衣の舞妓 夜風に揺れる 髪飾
*丈山は、御水尾天皇からのお召を「渡らじなせみの小川の清ければ老ひの波そふ影もはずかし」と辞退して、その後も決して賀茂川を渡らなかったということを踏まえています。

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