芭蕉 語れぬ湯殿にぬらす袂哉 7月23日(旧暦 六月六日)日曜日 大暑・桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)
月山山頂の「角兵衛小ヤ」に泊まった芭蕉と曽良が、じつは楽しみにしていたことがあったようです。しかし、「雲晴テ来光ナシ。夕ニハ東ニ、旦(あした)ニハ西ニ有由也。」と旅日記に残しているように、「ブロッケン現象」は、夕も朝も晴れてしまい見ることができませんでした。(写真はPHOTOHITOサイトchancoさん撮影)
「臥して明るを待。日出て雲消れば、湯殿に下る。谷の傍に鍛冶小屋と云有。」この日、元禄二年六月七日(1689年7月23日)湯殿山神社本宮を参詣し、昼頃月山山頂に戻り、「及暮、南谷ニ帰。甚労ル。」と旅日記にあります。羽黒山から月山山頂往復約60km、高低差1900m、月山山頂から湯殿山神社本宮往復約8km、高低差700m。1泊2日ですから、驚くほどの健脚です。
この日、芭蕉は掲句を、曽良も、銭踏て世を忘れけりゆどの道 と詠みました。曽良の句は、後に芭蕉によって 湯殿山銭ふむ道の泪かな と直され「おくのほそ道」に収録されます。
今日は、二十四節気 大暑、七十二候 桐始結花
chatGPT斎 今日の一句 足裏の 大地の大暑 踏みしめる

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