清風 涼しさの凝りくだくるか水車 7月3日(旧暦 五月十六日)月曜日

涼しさ*の凝りくだくるか水車 清風 

尾花沢の豪商鈴木清風江戸小石川屋敷での百韻興行の発句。脇は芭蕉が「青鷺草を見越す朝月」と付け、蕉門の嵐雪、其角、素堂らが一座しました。貞享二年六月二日(1685年7月3日)のことです。

芭蕉は、4年後の元禄二年(1689)五月尾花沢に長期滞在することになります。「おくのほそ道」に「尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富めるものなれども志いやしからず。都にも折々かよひてさすがに旅の情をも知たれば、日比とどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。」と書いています。因みに、難所の山刀伐(なたぎり)峠を越え尾花沢の清風邸に到着したのは五月十七日、新暦7月3日昼過ぎのことでした。そして早速歌仙を巻くことになり、その発句が「涼しさを我宿にしてねまる也」です。この芭蕉の句も清風の掲句と同じく今日詠まれた一句ということになります**。

*「出羽の芭蕉」(小柴健一著、出羽の豪商鈴木清風を顕彰する会発行)に、掲句清風の「涼しさ」は「延宝三年五月談林始祖宗因が東下し、芭蕉同席の百韻俳席の発句宗因『いと涼しき大徳也けり法の水』に由来。」とあり、掲句は単なる眼前句でなく、談林派清風が芭蕉の俳諧が談林を超え全国に広がりますかという問いかけだったとしています。延宝三年は西暦1675年。清風は延宝七年二九歳で俳諧宗匠として立机したそうです。

**従来五月中下旬興行とされている「歌仙『すずしさを』は、五月十七日に初折まで、翌十八日に満尾します。」と特定した「出羽の芭蕉」に拠ります。また同書に、尾花沢での芭蕉の「涼しさを」は、「発句清風『涼しさの凝りくだくるか水車』を引用した「すずしさを」です。」とあります。因みに貞享二年半夏生は五月晦日、元禄二年は五月十五日でしたので、二つの興行はどちらも半夏生の翌々日でした。芭蕉も清風もこのことを知っていたと思います。もしかしたら、芭蕉はその日に合わせて尾花沢入りをしたのかもしれません。

chatGPT斎 今日の一句  旱(ひでり)の 水車回る音 天に響くか

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