蕪村 秋来ぬと合点させたる嚏かな 8月15日(旧暦 六月二十九日)火曜日 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 16, 2023 秋来ぬと合点させたる嚏(くさめ)かな 蕪村明和五年七月四日(1768年8月15日)、大来堂の会、兼題「立秋」による詠。古今集の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(藤原敏行)の「風の音」ならぬ、ハックション!でという趣向ですけど、掲句の3年後に詠んだ一昨日の陰陽師の句の方が格段にいいようです。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
芭蕉 夏草や兵どもが夢の跡 6月29日(旧暦 五月十二日)木曜日 6月 29, 2023 夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉 曽良の旅日記に「十三日、天気明。巳ノ剋ヨリ平泉ヘ趣。(略) 高館、衣川、衣ノ関、中尊寺(別当案内)光堂(金色堂)、泉城、さくら川、秀衡屋敷等ヲ見ル。」と書いたのは、元禄二年五月十三日(1689年6月29日)のことです。 この日高館において、芭蕉は「偖(さて)も義臣すぐって此の城にこもり、功名一時の叢となる。『国破れて山河あり、城春にして草青みたり』と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落とし侍りぬ」と書いています。そして掲句を記しています。当日詠んだ句のように思われますがが、曽良の旅日記俳諧書留には記載がありませんので残念ながらそうではなく後日の作かもしれません。 掲句の初出は、元禄三年八月京都で出版された大坂の灯外編の「俳諧生駒堂」で、「平泉古戦城 路通が語りしを聞て なつ草や兵どもの夢の跡 」となっています。元禄二年八月に路通は敦賀まで芭蕉を迎えに行き、大垣、伊勢迄同行していますから、その折にこの句を聞き知っていたのでしょう。それを編者の灯外あるいは灯外と親しいと思われる鬼貫に語ったものでしょう。鬼貫は奥州藤原氏の裔という伊丹の造り酒屋の生まれでした。 chatGPT斎 今日の一句 夏の夢 煌めく海と 星の語り 続きを読む
蕪村 岩倉の狂女恋せよ子規 5月24日(旧暦 四月五日)水曜日 5月 25, 2023 岩倉の狂女恋せよ子規 蕪村 安永二年四月四日(1773年5月24日)、京での吟。蕪村句集では前書はありませんが、自画讃では「数ならぬ身はきき侍らず」と詞書があるそうです。これは、徒然草百七段の 「 時鳥や聞き給へると問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、数ならぬ身はえ聞き候はず、と答へられけり。堀川内大臣殿は、岩倉にて聞きて候ひしやらん、と仰せられたりける」を引いた句であることを示しています。しかし、句集編纂にあたり詞書を省略していますので、独立した句として取り扱うとの意思だったのでしょう。 では、なぜ徒然草のエピソードがなくとも成立つかと言いますと、そもそも岩倉大雲寺は徒然草の時代の遥か前、平安中期に時の皇后 の精神病治療に貢献するなど精神疾患治療する施設として有名でした。そして「 江戸時代の前期、 大雲寺 の周囲に各地から参集した精神病者とその家族のための茶屋が4軒以上」あったそうですから、徒然草がなくとも「岩倉の狂女」で京都の人々には十分理解できたのです。 徒然草は明らかに「岩倉」を否定的に見ていますしからかってもいます。蕪村は「狂女」に寄り添っているというより、恋しているように感じます。ちょっと言い過ぎかもしれませんが… この時期になると、ほととぎすの声が聞こえるのではないかと耳を澄ませますが、老鶯の声ばかりでめったに聞けません。「数ならぬ身」だからでしょうか。 chatGPT斎 今日の一句 鏡に映る 狂女の笑みは 夢か現か 続きを読む
一茶 青梅に手をかけて寝る蛙かな 5月4日(旧暦 三月十五日)木曜日 5月 04, 2023 青梅に手をかけて寝る蛙かな 一茶 「寛政三年紀行」四月二日(1791年5月4日すなわち232年前の今日)の条に、「二日 新川*枕流亭ニ宿る 青梅に手をかけて寝る蛙かな /南道老人、みちのくへ行といふニ 飛ぶことなかれ汲むことなかれ山清水」とあります。 三月二十六日に江戸を出立した一茶は、各地を巡って俳友を訪ね、この日は下総新川にありました。この後、香取神宮まで脚を伸ばしてから、信濃柏原に里帰りするため江戸に引き返します。 *今の成田市新川。枕流、南道ともに俳人 chatGPT斎 今日の一句 庭の花 切るや初めて 蝉を聞く 続きを読む
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