其角 夕立に独活の葉広き匂哉 8月3日(旧暦 六月十七日)木曜日 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 10, 2023 夕立に独活(うど)の葉広き匂哉 其角 「雨中吟」と前書がある「花摘」元禄三年六月二十八日(1690年8月3日)の条の句です。「窓外の畑に作られた独活の葉に、夕立がそゝぐが如く降って、独活独特の好もしい匂ひが、漂って来た風情」との評があります。昨日から七十二候「大雨時行」、夕立など大雨が降ることの多い時期です。chatGPT斎 今日の一句 夕立ちや 雨の中歌う カラオケ雲 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
芭蕉 ちゝはゝのしきりにこひし雉の声 4月27日(旧暦 三月八日)木曜日 4月 26, 2023 ちゝはゝのしきりにこひし雉の声 芭蕉 「よしのに三日とどまりて」、貞享五年三月二十七日(1688年4月27日)頃の高野山での吟。「笈の小文」に「高野」と前書して掲句と「 散る花に髻はづかし奥の院 万菊」が載っています。 また、「高野登山端書」と呼ばれる芭蕉の俳文が伝わっています。「高野のおくにのぼれば、(略)春の花は、寂寞の霞の空に匂ひておぼえ、猿の声、鳥の啼くにも腸(はらわた)を破るばかりにて、御庿(ごびょう)を心しずかにをがみ、骨堂のあたりに彳(たたず)みて倩(つらつら)おもふやうあり。此処はおほくの人のかたみの集れる所にして、わが先祖の鬢髪をはじめ、したしきなつかしきかぎりの白骨も、此内にこそおもひこめつめれと、袂もせきあへず、そぞろにこぼるゝ涙をとどめて、/父母*のしきりに恋し雉の声」 * 行基の釈教歌「山鳥のほろほろと啼く声きけば父かととぞ思ふ母かとぞ思ふ」に拠るといわれています。しかし典拠かもしれない歌がほかにもあります。高野山から和歌の浦へのほぼ中間あたりにある西国三十三か所第3番の名刹、粉河寺のご詠歌は「父母 の恵みも深き粉河寺 佛の誓ひ たのもしの身や」です。 芭蕉一行が立ち寄ったかどうかはわかりませんが、元禄四年きりにこひし雉の声 芭蕉  「よしのに三日とどまりて」、貞享五年三月二十七日(1688年4月27日)頃の高野山での吟。「笈の小文」に「高野」と前書して掲句と「散る花に髻はづかし奥の院 万菊」が載っています。 また、「高野登山端書」と呼ばれる芭蕉の俳文が伝わっています。「高野のおくにのぼれば、(略)春の花は、寂寞の霞の空に匂ひておぼえ、猿の声、鳥の啼くにも腸(はらわた)を破るばかりにて、御庿(ごびょう)を心しずかにをがみ、骨堂のあたりに彳(たたず)みて倩(つらつら)おもふやうあり。此処はおほくの人のかたみの集れる所にして、わが先祖の鬢髪をはじめ、したしきなつかしきかぎりの白骨も、此内にこそおもひこめつめれと、袂もせきあへず、そぞろにこぼるゝ涙をとどめて、/父母*のしきりに恋し雉の声」 * 行基の釈教歌「山鳥のほろほろと啼く声きけば父かととぞ思ふ母かとぞ思ふ」に拠るといわれています。しかし典拠かもしれない歌がほかにもあります。高野山から和歌の浦へのほぼ中間あたりにある西国三十三か所第3番の名刹、粉河寺のご詠歌は「父母の恵みも深き... 続きを読む
芭蕉 夏草や兵どもが夢の跡 6月29日(旧暦 五月十二日)木曜日 6月 29, 2023 夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉 曽良の旅日記に「十三日、天気明。巳ノ剋ヨリ平泉ヘ趣。(略) 高館、衣川、衣ノ関、中尊寺(別当案内)光堂(金色堂)、泉城、さくら川、秀衡屋敷等ヲ見ル。」と書いたのは、元禄二年五月十三日(1689年6月29日)のことです。 この日高館において、芭蕉は「偖(さて)も義臣すぐって此の城にこもり、功名一時の叢となる。『国破れて山河あり、城春にして草青みたり』と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落とし侍りぬ」と書いています。そして掲句を記しています。当日詠んだ句のように思われますがが、曽良の旅日記俳諧書留には記載がありませんので残念ながらそうではなく後日の作かもしれません。 掲句の初出は、元禄三年八月京都で出版された大坂の灯外編の「俳諧生駒堂」で、「平泉古戦城 路通が語りしを聞て なつ草や兵どもの夢の跡 」となっています。元禄二年八月に路通は敦賀まで芭蕉を迎えに行き、大垣、伊勢迄同行していますから、その折にこの句を聞き知っていたのでしょう。それを編者の灯外あるいは灯外と親しいと思われる鬼貫に語ったものでしょう。鬼貫は奥州藤原氏の裔という伊丹の造り酒屋の生まれでした。 chatGPT斎 今日の一句 夏の夢 煌めく海と 星の語り 続きを読む
蕪村 牡丹散て打ちかさなりぬ二三片 6月13日(旧暦 四月二十五日)火曜日 6月 13, 2023 牡丹散(ちり)て打ちかさなりぬ二三片 蕪村 明和六年五月十日(1769年6月13日)の詠です。同日詠に、 短夜の夜の間に咲るぼたん哉 閻王の口や牡丹を吐んとす* などがあります。 「散て」を「チッテと読む方が句に勁(つよ)さも出、切字も利いて好もしい」(安藤次男)という意見もありますが、安永九年(1780年)七月几董宛書簡に上五を「ぼたんちりて」と蕪村自身書いていることもあってか、通常「ちりて」と読むようです。 *この句の 前書に「波翻舌本吐紅蓮」とあります。これは白居易の「遊悟真寺詩」の中の一節「 誦此蓮花偈,數滿百億千。 身壞口不壞, 舌根如紅蓮 。 顱骨今不見,石函尚存焉。 粉壁有吳畫,筆彩依舊鮮。」(「 この蓮華の偈を何十億も唱えた。 身は朽ちても口は朽ちず、舌根は赤い蓮のようだ。 頭蓋骨は今は見えないが、石の箱にはまだ残っている。 白い壁には吳の絵があり、筆の色はいまだに鮮やかだ。」Bing亭訳)に拠っていますが、この句の牡丹は本詩句からの絵画的イメージが強く直接的で、菩薩の蓮華ならぬ 閻魔さんは 紅蓮の牡丹を吐くと言い換えたおかしみと共に映像的にはなるほど強烈ですが、5月27日のような気宇壮大な「気」まで至ってないように思います。 閻魔は「蓮華偈頌」はもちろん南無妙法蓮華経といったお題目も唱えるとは思えませんが、牡丹といわれてやっぱりおかしかったんでしょうね。京の人なら、称名を唱え「南無阿弥陀仏」六体の仏が口から吐く 六波羅蜜寺の 空也像を思い浮かべたかもしれません。 Bing亭 今日の一句 散り行くは 牡丹の花か 夢の跡 以下、「(公益社団法人)俳人協会・俳句文学館」HP「今日の一句:2020年05月」の「五月二十六 日」欄からの引用です。 なまなまと 生 きてしありし 牡 丹 かな 上田五千石 牡丹は花の王ともいわれている。在りし日のなまめかしい牡丹を思い、深い眼差しで対座する師の姿がある。「かな」の詠嘆は牡丹の気品、華麗さを包みこんで、「今を美し」とする五千石先生ならではの美意識へと誘われる。六十二歳の作。( 山下桂子) 「上田五千石集」 脚註名句シリーズ二( 一五) 続きを読む
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